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仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊


仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 


 孟略然は、故郷の鹿門山に自適の暮らしをし、季節の訪れも気づかず、あくせくと過ごす俗人の世界に対して、悠然と自然にとけ入った世界が歌われている。
「ぬくぬく春の眠りを貪っている」のは、宮仕えの生活を拒否した、つまり世俗の巷を低く見ている入物であり、詩人にとってあこがれの生活である。立身出世とは全く縁のない世界、悠然たる『高士』の世界である。この詩は、内容からして孟浩然の若いころの作品である。



孟浩然  

卷159_8 「仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊」孟浩然

 田家が緑の樹木で囲まれた幽閑な場所、林澗であることも重要な点である。孟浩然か陶淵明を慕う理由もまたここに存在している。こうした陶淵明をしたい気持ちを詠ったものが「仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊」である。

仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊

?讀高士傳,最嘉陶征君。
日耽田園趣,自謂羲皇人。
予複何爲者,棲棲徒問津。
中年廢丘壑,上國旅風塵。」
#2
忠欲事明主,孝思侍老親。
歸來當炎夏,耕稼不及春。
扇枕北窗下,采芝南澗濱。
因聲謝同列,吾慕潁陽真。」

仲夏 漢南園に歸る,京邑の耆舊に寄せる
#1
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
中年にして丘?を廢し、上國 風塵に旅す。」
#2
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」


仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 現代語訳と訳註
(本文)#1
?讀高士傳,最嘉陶征君。
日耽田園趣,自謂羲皇人。
予複何爲者,棲棲徒問津。
中年廢丘壑,上國旅風塵。」
#2
忠欲事明主,孝思侍老親。
歸來當炎夏,耕稼不及春。
扇枕北窗下,采芝南澗濱。
因聲謝同列,吾慕潁陽真。」


(下し文)#1
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
中年にして丘?を廢し、上國 風塵に旅す。」
#2
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」


(現代語訳)
夏の盛りに澗南園に帰った、長安近くの邑に棲む「耆舊」によせる。
以前から「高士伝」をはじめとして隠棲した人たちの書をよく読んでいる、その中で最も忠君であった陶淵明のことが喜ばしいと思う。
毎日、この田園の自然に浸り趣きを感じることに耽るのである。
毎日、この田園の自然に浸り趣きを感じることに耽るのである。自分で陶淵明や謝霊運のように天子に忠議する人間というのである。
わたしは今またどうしたらよいのであろうか、隠棲して生活しているのであるが、それであってもなおかつ人生の道をたずねるのである。
人生も半ばになってこうした隠棲を辞めようとしている、国の都に上がり俗人の世界に旅をしようかとしている。
#2
忠義心を持って天子の仕事をしたいと思うのであるが、思い悩み考えるのは年取った親がそれをのぞんでいるのである。
しかしこうして炎天の夏に帰ってきたのである、土地を耕して農作物を作っているだがまだ次の春まで及ぶことはない。
この夏はしばらくここで北の寝室の窓辺に涼んでいくのだ、薬草を摘み取ったりして南の谷川の川辺の浜で過ごす。
詩を吟じることによって謝霊運と同じ境地に達していると思い、そして私は穎川の南でのみみをあらった許由を本当に慕っているのである。


(訳注)
仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊
仲夏 漢南園に歸る,京邑の耆舊に寄せる
夏の盛りに澗南園に帰った、長安近くの邑に棲む「耆舊」によせる。
○仲夏 夏のなかば。また、陰暦5月の異称。中夏。○漢南園 澗南園のこと。孟浩然の『澗南園即時貽皎上人』○邑 邑里。いなか。街の郊外の田園にかこまれた数軒の家が固まったようなところ。『過故人莊』孟浩然○耆舊 「襄陽耆舊記」?コ公と劉表、諸葛孔明らと問答をまとめて書いた史書。?コ公の隠棲という雰囲気を残した丹桂遺跡が近くにある。ここでは王維のことを示唆するのではなかろうか。


?讀高士傳,最嘉陶征君。
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
以前から「高士伝」をはじめとして隠棲した人たちの書をよく読んでいる、その中で最も忠君であった陶淵明のことが喜ばしいと思う。
○『史記』「伯夷列伝第一」 に「甫謐高士傳云・・「許由字武仲。堯聞致天下而譲焉、乃退而遁於中嶽潁水陽、箕山之下隠。堯又召爲九州長、由不欲聞之、洗耳於穎水濱。」(皇甫謐『高士伝』に云ふ、許由、字は武仲。尭、天下を致して譲らんとするを聞き、乃ち退いて中嶽潁水の陽、箕山の下に遁れ隠る。尭、又た召して九州の長と為さんとす。由、之を聞くを欲せず、耳を潁水の浜に洗ふ。)


日耽田園趣,自謂羲皇人。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
毎日、この田園の自然に浸り趣きを感じることに耽るのである。自分で陶淵明や謝霊運のように天子に忠議する人間というのである。


予複何爲者,棲棲徒問津。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
わたしは今またどうしたらよいのであろうか、隠棲して生活しているのであるが、それであってもなおかつ人生の道をたずねるのである。
○問津 学問の道をたずねる、人生の道をたずねる。


中年廢丘壑,上國旅風塵。」
中年にして丘?を廢し、上國 風塵に旅す。」
人生も半ばになってこうした隠棲を辞めようとしている、国の都に上がり俗人の世界に旅をしようかとしている。
○丘壑(キウガク) おかと谷と、隱者の棲息する處。


忠欲事明主,孝思侍老親。
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
忠義心を持って天子の仕事をしたいと思うのであるが、思い悩み考えるのは年取った親がそれをのぞんでいるのである。
○忠 ○明主 天子。○侍老親 年老いた親が待っている。親としては一族の名誉のためにも仕官しほしいと願っているが、心配もしてくれている。


歸來當炎夏,耕稼不及春。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
しかしこうして炎天の夏に帰ってきたのである、土地を耕して農作物を作っているだがまだ次の春まで及ぶことはない。


扇枕北窗下,采芝南澗濱。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
この夏はしばらくここで北の寝室の窓辺に涼んでいくのだ、薬草を摘み取ったりして南の谷川の川辺の浜で過ごす。
○扇枕北窗下 陶淵明『与子儼等疏』に「常言五六月中,北窗下臥,遇涼風暫至,自謂是羲皇上人。」(五六月中、北窗の下に臥すれば涼風の暫かに至るに遇ひ、自ら謂へらく是れ義皇の人なり)とあるのをふまえている。孟浩然は田園における陶淵明の姿を確かに見ていたのである。○采芝 『登鹿門山懐古』「金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。」(金澗に芝朮(しじゅつ)を養ひ、石床 苔蘇に臥す。)・養芝朮 貴重な薬草をそだてる。○南澗 澗南園のこと。


因聲謝同列,吾慕潁陽真。」
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」
詩を吟じることによって謝霊運と同じ境地に達していると思い、そして私は穎川の南でのみみをあらった許由を本当に慕っているのである。
『田園作』でも「望斷金馬門,勞歌采樵路。」(望み斷つ 金馬門,勞歌す 采樵の路。)


 ここに描かれた陶淵明について、「風雅、隠棲等の超俗性か端的に表れた」ものとして捉え、「官を棄て、世俗との交渉を断って自適の境を楽しむ、まことに風雅の隠者というにふきわしい姿にであると指摘する。そのうえで、こうした陶淵明像を描くことの背後には、自らが経阿から隠遁へと意識が転換したことを都のの旧友たちに対して弁明する意図があったと解釈している。陶淵明の隠者としての姿は、孟浩然の隠遁生活の支えであったから、「かけがえのないものと」なったとするのである。
 半官半隠は孟浩然の最大の願いであった。張九齢が左遷されてこの地にくるまで官に仕えることはなかった。



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